上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2008.03.26 残石
残念石


小豆島に行ってきました。
良質の花崗岩が産出されるこの地で400年近く前に大阪城の修繕のために切り出された石が大阪までたどり着くこと無く数多く残されていて、当時の石工が刻んだノミの後、刻印が今もしっかりと残されています。
スポンサーサイト
僕が今気になっているが、手を出せずにいるものの中にネットオークションがあります。自分の欲しかった物が運良くとても安く手に入れることが出来るというのは魅力的ですが、そこに至るまでにどれだけ回り道をするのだろうと考えてしまうのです。未登録で入札権もないのですが、いろいろ出展品を見て回っていると時間はあっという間に過ぎてゆきます。ことに「木工」「電動工具」なんていうキーワードでやっていきますと2時間ぐらいは平気でウインドウショッピングならぬ、ディスプレーショッピングについやしてしまいます。これは品番が分かっている新品を何処が一番安いか検索して調べるのとは比べ物にならないくらいの時間が必要かと思います。もちろん目当ての品物にもよりますし、スキルのある上級者の方は、自分の目的の物を効率よく絞り込み上手く落札する「すべ」を身につけておられて効率よくツールとして活用されていることでしょう。しかし、ツールであったはずのものが気がつけばいつの間にか目的にすり替わっていたという失敗を僕は何度か繰り返しており、このネットオークションにもその匂いを感じてしまうのです。これは、ネットオークションのシステム云々ではなく自分の性格の問題ですね。
バングラディシュで現地特産の麻布をもとに現地工場で
作った鞄を日本で売るビジネスをされている日本人女性、
山口絵理子さんを取り上げているテレビ番組が昨日あり、見入ってしまった。

細かい内容の方は、乏しい記憶力と文章表現力のおかげで朝までかかりそうなので
割愛させていただきますが、
番組の最後の方に彼女と仕事をしている現地の男性の言葉が印象深かった。

ただお金だけをおくる支援はこの国の人を物乞いにするだけだ。
彼女は仕事をあたえ働く者は誇りを持つことが出来た。

というようなことを確か言っておられた。
少しの言葉足らずでニュアンスが大きく変わってしまうので、
大きくハズしていないか少し心配であるが、
その言葉から、先日展示会に行ってきたNIPPON VSIONを連想しました。

産業を根付かせるということ。
人々の理解を得るための地道な努力、粘り強さ。
熱い気持ち。
山口さんナガオカさんとに同じものを感じました。

また風邪をひいてしまいました。
前回、数年ぶりにひいたので、またこれでもう数年はよし!と、
何の根拠もない自信から油断が生じ、こたつでうたた寝等の
不規則な生活を繰り返してしまったのが原因かと思われますが、
それにしても迂闊ですね。
と言いましても、それも数日前の話しで今はほぼ回復。ふつうです。

よく自然の壮大な景観につつまれますと、その圧倒的雄大さに自分自身や
その考えていることがとても小さく思えますが。
かたやミクロの世界に思いをはせると、目では認識し得ないめまぐるしい動きがあり、
そのちいさなあるものは、こちらが熱っぽい体でふらついている間にも
何回も世代交代をしているのかもしれません。
それはまたそれで深さや広さを感じてしまいます。

何時からあるのか分からない過去と、この先永遠に続く未来を両端に持つ
時間軸の中のこの今、無限に広がる空間の中のこの座標で、
あらゆるスケールが混在する中に自分はいるのでしょう。




数年前、妻の実家のある室戸に遊びに行ったとき、お土産屋にいくと鰹節がありました。鰹節と言っても削られたものではなくカチカチの塊です。やはりパックに入った普段使っているような鰹節と比べるとひと味違うということを聞いたので、好奇心も湧いてきて一つ買って帰りました。

家に帰り精一杯研いだカンナを持ち出して広告かなにかをひいた上で削り始めました。その頃はカンナを裏返しにして身の方を動かした方が削り易いという事も知らず、木を削るような要領でカンナの方を動かしたのですが、良い手ごたえが得られずに引っかかてしまったので、削った身を良く見てみると木で逆目を起こした時と同様に掘れていたのでした。動物の筋肉も繊維の束でしょうからそりゃ目の方向があっても当然かと思いますがその時は、とにかく驚いたのと魚すらまともに削れないのかと少々落ち込んだことを覚えています。

テレビで鰹節を削ってたのを見て、その時のこと思い出しました。
木工を初めてそんなにまもないその頃に比べると、今ならもう少し上手く出来そうな気がするのですがどうでしょうか。
2008.03.07 ものはかたる
モノはかたるとよく言われます。
僕も確かにそうであると思うのですが、彼らは必ずしも饒舌であるとは限らないのではないかと思います。長年かけて少しづつ話してくれたり、ある瞬間、場面にようやく沈黙をやぶりはなしてくれたり、さりげなくささやかで控えめだったり、かたれどかたれど意味の分からない知らない言語であったり。
そういったがつがつ主張しないモノのことを、一番の理解者である生みの親が代弁してあげるんだなと思いました。
そして、また、よく見るとそのコは「とうちゃん、かあちゃん」のことをしっかりかたっていたりするんですね。
NIPPON VISION展をやっているD&DEPARTMENTに行ってきました。
47都道府県ごとにわけられ、各地で作られた商品がずらっと並んでいました。
時代は移り変わっていくものですから、伝統的な物のなかにはいくらすばらしい技術により作られた物であっても、今の生活の中にはなかなか入り込む余地がない物もたくさんあるかと思います。
かつては、ものを持つということは何かが豊かになる反面、そのものにもいくらか手がかかるということであったのではないかと思います。しかし、今これだけメンテナンスフリーに慣れてしまった僕たちは、ちょっと古めかしい味のある物を見かけると良い感じだ、家に欲しいなどと簡単に口にしますが、はたしてそのものと真っ直ぐに向き合うことが出来るんだろうかと思います。それらを生活のなかに取り込み役割をもつのではなく、部屋の角に飾ってみたりして、まるで剥製のような付き合いかたしか出来ないのではないかと思いました。
浜田工房の浜田さんのご自宅付近はとても良い風情でいいなあと思っていましたが、先日うかがったときに1日の間に降った雪を、ほぼ1日がかりで屋根から降ろす作業をされている地元の方達を見て、自分はここに住めるだろうかと思いました。
NIPPON VISION展に並ぶこれらの商品すべてが伝統工芸品に指定されているのかは、勉強不足で知らないのですが、すーっと今の生活にも取り込んでいる姿が、簡単に想像出来るものがたくさん展示されていました。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。